2011.08.29 Monday
愛もある
お盆に帰省した時に、おもしろく思ったことがあった。
5日ほどの滞在中、義母と一緒にいることが多かった。
その時に、「孫娘(大学生)のことで迷惑している」
という内容の話しを、3回は聞いたと思う。
義父からも短い言葉で、2回ほど聞いた。
わたしは、(ふ〜ん、そうなんだ〜)とか
(困ってるのね〜)と思いながら、ただフツウに聞いていた。
4日目くらいに当の本人が来た。
一緒に何かをしたり過ごしたりする時があったのだが、
その時には、2人とも話していたことについて全く何も言わないのだ。
迷惑そうなそぶりも、特に見せない。
それがとても不思議だった。
それで、わたしは思った。
本人には言えないんだな、きっと。
だから他の人に言ってバランスを取っているのかもしれない。
これを人はよくやる。
不満に思っていることがある。 だけど、〇〇には言えない。
→でも、自分の気持ちは消えないし、それをそのままにもできなくて
→つい他の人に話してしまう
→他の人に話すことで少しは落ち着くが、
根本解決とはなってないのでまた話してしまうことになる。 続く・・・
このような流れになっているように思う。
今までにわたしも何回もやってきて、たまーに、今でもやっちゃうから
義母の気持ちがよくわかった。
以前のわたしだったら、そういう話しをされたら真に受けて、
「そうか、けしからん」みたいな同調するような言葉を口にしたり、
一緒に怒っていただろうなぁと思う。
今年は、ただ微笑んで聞けていたことに、ホッとする。
前のやり方をしなくて済んだのは
「迷惑」と言いつつ、それを本人に言えないでいる義母に
孫娘に対する愛情を見ることができたからだ。
ふたつともあることが、やっと見えるようになってきた。
「愛」もあるんだということが。
感情が出てこなかったのは、その時のわたしの中に
同じような感情がなかったからだと思う。
以前、人の話を聞いて一緒に怒っていた時は、
その人のことで怒っているように見えて、
実はもともと自分の中にあった表現できなかった怒りを、
人の話に乗じて表現していたようだから。
これからも、そんな「在り方」ができれば楽だなぁ〜。